
ドリアン助川..
【叫ぶ詩人の会】 .. の人..
ボクはコレくらいの知識のもと 行ったライブ..
今回の商店街のイベント 【音で多じ視る】で お世話になった
高橋綾子さんが 今回のライブを運営されてたので.. 行かなきゃ..
こんな感じで 行った ドリアン助川のライブ..
ブカレスト...
プノンペン..
そして チェルノブイリ..
3.11以降の フクシマ..
実際に 行って感じられたことを 詩と映像..そして唄.. で 約3時間 ドリアン助川氏は 叫び続けた..
この平和かぶれしてる ボクたちは
すでに あのフクシマの事 風化してないでしょうか..
チェルノブイリの事.. 遠い過去のこととなってないでしょうか..
改めて 考えさせられました..
この原発事故の問題は 未来.. ボクたちの孫..そのまた孫..
もっともっと未来まで 引き継がれていく問題..
ボクには 何の力もないですが..
今日この経験を 3人子供たちに伝え..
家族で考える時間が持てたら.. と思います。
今回の 商店街イベントで
今までのボクにはないチャンネルの方々と 多く知り合う事が出来..多謝..
ブカレスト...
1967年に大統領に就任したニコラエ・チャウシェスクは、スピーレア教会、コトロチェニ修道院など中世から残る古い教会を含む多くの歴史的建造物を破壊し、無機質な社会主義的計画都市に代えていった。このような都市計画は1971年に北朝鮮の平壌を訪問した時にその着想を得たという。特に市民センターや議会宮殿などにそれが顕著に現れている。それでもいくつか歴史的な地区は残ったものの、かつて「東欧の小パリ」と呼ばれた美しい街並みの面影は殆どない。
その後、1989年のルーマニア革命で民主化されたが、経済は低迷し活気の無い街と化した。また前述の孤児院は機能しなくなり大量の孤児がストリートチルドレンとなり、その多くは下水道での生活を余儀なくされ、犯罪に走る子供たちも多くいた。彼らは“チャウシェスクの子供たち”と呼ばれ、共産主義時代の負の遺産として大きな社会問題となっている。 2000年代に入り、経済が回復し好調になると共に、町は近代化され、歴史的地域はかつての輝きを取り戻しつつある。
プノンペン...
カンボジア王国の首都。1970年にクメール共和国が樹立し、ベトナム戦争の影響を受けた内戦が激化、75年に極端な共和主義を掲げる独裁者ポル・ポト政権が成立、干ばつや飢餓、思想改革の名の下で虐殺が行われ、100万~200万人以上とも言われる死者が出た。ドリアン助川氏は1992年 アントニオ猪木氏のカンボジア視察に同行。国連保護のない中、土地のドライバーを雇って、ポル・ポト派が潜むバッタンバン州を目指した。